ユーザーイリュージョン 第4章

...とはいえベネットの論理深度で最も重要なのは、その算出方法ではない。途中で処分した情報量を割り出すという考え方だ ... ハンス・クーンは生命の起源と進化の謎を解明するために、進化の過程で起こる情報の処分に着目してきた ... クーンは生物の進化を、一個の生物が環境とのかかわりにおいて行う選択の連続と捉えている。環境は生物に圧力をかけ、生物は生きるのびるために行動の選択を迫られる。生物の遺伝子には、そうした「生存のための経験」が内包されている ... 生物は生き延びるほど「経験」がふえる。そして、遺伝子の価値も高まる。だから注目すべきは、遺伝子の数ではなく、その遺伝子に蓄積された豊富な「経験」だ。生物の遺伝子に含まれる情報には、そこに凝縮された経験量に比例した価値がある。注目すべきは目に見える情報量、すなわち遺伝子の数ではなく、処分された情報量だ。クーンはこう書いている。「この質的側面が知識を形作る。この場合の「知識」は、処分された情報の総ビット数で測定する。」そう考えれば、生物学の立場から見た知識は、たんに処分された情報として定義されることになる。
この見解に組するなら、ある問題も解決される。発見されたときに大勢の科学者を悩ませたその問題とは、人間よりユリのほうが、一細胞当たりのDNAがはるかに多いというものだ。たしかにユリはうつくしい。だが、どう考えても人間よりは賢くはない筈だ。

生物にとって重要なのは、それが持つ情報量以上に、「知識」や「経験」としての外情報だ。どれだけの外情報をバックグラウンドに持つかが、情報そのものの価値を規定する。